パワプロ2020再現選手 ハンク・アーロン 1957年 MIN・MIL
ヘンリー・ルイス・アーロン (23歳※1957年時)
1957年成績
151試合 打率.322 44本 132打点 OPS.978
(※太字はリーグトップ)
通算成績
3298試合 打率.305 755本 2297打点 6856塁打 OPS.928
(※赤字は歴代最高)
・通算3771安打(歴代3位)
・通算755本塁打(歴代2位)
・通算6856塁打(歴代1位)
・通算2297打点(歴代1位)
タイトル・表彰
首位打者:2回(1956年、1959年)
本塁打王:4回(1957年、1963年、1966年、1967年)
打点王:4回(1957年、1960年、1963年、1966年)
シーズンMVP:1回(1957年)
ゴールドグラブ賞:3回(1958年、1959年、1960年)
経歴
インディアナポリス・クラウンズ(1952)
アトランタ・ブレーブス(1954-1974)
ミルウォーキー・ブルワーズ(1975-1976)
査定・選手に関して
通算2297打点、6856塁打でMLB歴代1位の記録を保持し、バリー・ボンズに抜かれるまで通算本塁打755は33年間MLB歴代1位だった、メジャーを代表する歴代最強スラッガーの1人。
本塁打数が注目されるが、1960年から1968年まで盗塁数は二桁を超え、特に1963年には30-30を達成するなどバッティング以外にも俊足と盗塁技術を持ち合わせ、アーロン本人も自分自身をホームランバッターではなく万能の選手ととらえ、他の人たちにもそう思ってほしいとコメントを残している。
1974年には日米野球で来日し、読売ジャイアンツの王貞治と本塁打競争を行い、10対9でアーロンが勝利している。また王に手土産としてスパイクとグラブをプレゼントしており王の足にはスパイクが大きすぎたり、グラブも右利き用だったりしていたが王は喜んで受け取ったエピソードがある。
王がアーロンの通算本塁打記録を塗り替えた際には王の記録達成に心から敬意を表し、紳士的に祝福し、フラミンゴのはく製を記念に王に送ったらしい。
1982年にアメリカ野球殿堂入り。アーロンの背番号「44」はブルワーズとブレーブスの2球団で永久欠番に指定されている。
チャンスB…得点圏打率.340
アーチスト…通算755HRから
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